流派
不二流とは不二の流れである。
不二とは二つであらずという真理を表す限界の言葉。
概念(考え)や言葉(説明)をこえた世界。
人間の分別理知からは考えの及ばない自然法璽の世界であり、無碍の世界であると言われている。
不二流躰術・第三代宗家が修行した不二流躰術、井上鑑照伝・一位流合気武道、柔道、 空手、剣術、棒術、短刀術、短棒術、他の武器術などや、戦場での体験(常在戦場)、山行、滝行、活法も 含め、宇宙遵法而不二にもあるように、先人たちの到達した武の法、宇宙の法の足元に少しでも近づけるように今以 上に更に深く掘り下げる為に発足させた流派である。
不二流・宗家の先祖は加賀藩の藩校「経武官」において、250年前から体術師範を代々務めていた。
不二流の特徴は審判のいない即ちルール不在の中で行われていくというの が前提にある。その為に慎重さと大胆さを兼ね備える事が必要であり、且つ 人間の生理に沿った身体運用が求められる。
今まで使っていない身体の機能や様々な感覚を総動員する。
正しく効率的に筋肉と身体の動きを連動できなければ、頑張っただけの効 果は見込めないばかりか、怪我の原因にさえなってしまう。
身体の機能を理解して、正しい動きを稽古の中で身につけ、鍛えた身体を 効率よく最大限の動きをできるようにする。
「私自身、50代でまだまだ成長出来るとは思ってもみませんでした。現在も成長を自分自身の身体で実証しています。30代以降は怪我が多くなります。怪我をすると稽古ができなくなります。稽古ができないと衰えます。怪我をしない身体を作っていかなければなりません。」(不二流・宗家談)
「養身 養心 護躰」身体を鍛え養えば、心も養われて、自らの身を健康に も保ち護る事にも繋がっていきます。
例えば女性や力が弱い人などで武道経験がない人、運動経験がない人が習って即使える護身術はあるのか?
身体を練り、技術を磨き、心を強くしていくいがい近道はないと思います。
近道をする為にはコツコツと稽古を続けるしか道はありません。魔法はありません
怪我しない壊れない身体を作り、稽古を続け技術を護身術を身につける。続ける事を覚えれば心も強くなっていく事でしょう。
性根、根気が無ければ何事も深いところへ行く事はできません。
「身心有用而不二」身体と心は二つではあらず。一つでもなければ二つ別々のものでもない。
身体と心で不二。
昔の日本人の精神は鍛えられた身体が土台にありました。
古武術身体操作法による護身術は刃物による事件が多い現代にこそ必要な技術だと思います。
日本武道は戦乱の時代に発展して武器術だけでなく、素手の技術、体術は研究されてきました。
「いざは常、常はいざなり」(不二流躰術・第二代宗家伝)
この心構えがないと武術ではなくなり、文化保存会となってしまいます。
一歩前に出る勇気を持つことが大事です。
便利になればなるほど身体は退化します。
道場は人間育成の場所でもあります。
人が育たなければ次の代はありません。
指導する者の三大原理「時を守り、場を清め、礼を正す」。
こども護身術教室「挨拶、返事、後始末」の三原則。
日本武道(nippon budo)は日本文化(Japanese culture)です。
日本身体文化は無形文化です。
日本身体文化を土台として日本精神文化があります。
文化は生き方です。過去の伝統をもととして未来を作りだしていく。
文化はそのものとともに生きる以外ありません。
文化がなければ人間は生きていけません。
文化はcultureです。cultureはラテン語のculturaからその語幹はcolere。
その派生語cultus。耕す、敬う。
そこからcultibeteが派生。耕す。自然 の土地を耕し食物を得る。自然の恵みを崇拝します。
もう一つ派生したのがcult。崇拝、儀式です。
自然崇拝は神道の始まりです。文化と神というものは一体です。どの国でも同じです。
The Fujiryu is a branch of traditional style martial arts, including taijutsu, kenjutsu, bojutsu, and tantojutsu. The ancestors of the Fujiryu lineage had served for 250 years as masters of taijutsu at the Keibukan, the school of Kaga feudal domain, from generation to generation.
The Fujiryu is deeply rooted in Japanese traditional culture.